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ABOUT ME

こちらのサイトに来ていただいてありがとうございます。

ここまで来ていただいたということは、少しながらボクの何かしらに、興味を持っていただいた方だと思います。

今現在はブログを中心にいろいろなことを行っていますが、過去には様々な困難に会ってきました。

過去の経験は現在の肥やしと考え、その歴史をここに記しておきたいと思います。

​長くなりますが、興味を持っていただいた方は読んでいただけると嬉しいです。

​簡単な自己紹介

ボクの出身は北海道の浦河町というとても田舎の町になります。

目の前には海が広がり、後ろを見れば山があり、鹿などの動物もよく見かけるような田舎町です。

日高昆布で有名な日高地方にある街なので、一部の人達には知られている街だったりもします。

そんな田舎町に生まれたのにもかかわらず、父親の影響により小学生の頃からインターネットにはまり、現在の様なインターネットがないと生きられない体に成長することになりました。

現在は、フリーランスでインターネットだけで生計を立てているわけですが、非常に危うい生活で、毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際だったりします。

こうなったからには、個人情報を隠してほそぼそと生きていくのは辞めよう!

インターネットで自分をもっとアピールしていこう!

そう思って、只今活動を行っているところです。

My History

ここには、ボクの生きた証をすべて、赤裸々に記して行きたいと思います。

その為、常にこのページは更新されます。

1989年 北海道の浦河町にてボクは生まれました。

ブログでも使っている名前はボクの本名である”かずひろ”をそのままローマ字にしただけだったりします。

苗字は一応まで伏せたい・・・アピールすると言っておきながら恥ずかしい・・・。

幼稚園 → 小学校 → 中学校 を地元ですごし、部活はサッカーをしていました。

しかし、サッカーはとても嫌いでした。

高校受験が近くなったボクは、地元の高校は非常に偏差値が低いので、このまま進学してしまったらボクの人生は終わってしまうと考えていました。

親からはこの世がお金による格差が幸福度に直結するという拝金主義的な考えがあるため、中学生の時点でボク自身も無意識に良い高校に行かなければならないという強迫観念にかられていたのだと思います。

そこで選んだのが、高専でした。

高専と言うのは工業高等専門学校の略称で、主に工業系の学問を中心に学ぶことができる、短大までエスカレーター式の国立学校です。

その為、中学卒業後に入学するのではあるが、5年制になっているちょっと特殊な学校なのです。

インターネットが好きだったボクは、必然とプログラミングには少しだけ興味があったのです。

成績は普通よりも少し良い方だったのですが、田舎の学校での話なので、全くあてになりません。

それでも、その時は自分の住んでいる地元が世界であり、それ以外の情報はほとんど知りません。

ボクは自然とそこそこ頭がいいと思い込んでいたのです。

学校の成績で言えば、100人中20位くらいという感じでした。

また、ボクが受けた苫小牧高専は偏差値約60という結構高い数値だったのです。

参考:高校受験ナビ

そして、ボクが受験をしようと決めたのは受験日からすでに半年を切っていたのです。

ここで、重要なのがボクはボク自身が ”そこそこ頭がいい” と思い込んでいたということです。

今まできちんと真剣に勉強をしてこなかったボクは、手っ取り早く塾に行くことにしまいた。

そこで、模試を受けてみたのですが、素晴らしい結果となりました。

合格確率・・・・2%

あれ?

あれ???ボクってあまり頭が良くないのかな??

塾の先生にも言われました「無理」と言う事実を。

これがまだ中学2年生であればまだしも、すでに数カ月後には受験が迫っていたのです。

2%と言うのは、言ってしまえばやるだけ無駄ということです。

それでも、ボクにはもう道が残されていなかったので、ボクができるだけの勉強をしてみることにしました。

その日からは、塾で貰った問題集を深夜まで勉強する毎日でした。

(とは言っても毎日0時位には寝ていた気がする。)

賢明に勉強をして、ついに受験の日が近づき・・・試験の日、正直全然できなかった。

全く手応えがなかった・・・。

そして、残念なことに落ちてしまったのだ。

当たり前のことである。

2%で受かるはずがないのである。

ボクはそこまで落ち込まなかった気がした。

自分でできることはやったからだ。

でも、少し残念だった気がするのは否めない。

それから、数日が過ぎた時の事だった・・・。

体育の授業中の出来事だった。

授業中にもかかわらず、​突然、先生がボクを教員室に呼び出したのだ。

その時の内容はこのような感じだった。

「高専の人数に空きができて、繰り上げで合格になったって電話が来たけど、入学する?」

そんな、あまり覚えていない会話をして、ボクは即答した

「入学します!」

その後、入学できたことを塾の先生に​報告をしたら、”奇跡だ”と言われたのでした。

高専入学

ボクにとって高専は天国のような場所だと思っていました。

毎日工作のようなことをし続けて、遊びながら暮らしていける場所だと思っていたのです。

でも、現実は違いました。

やりたくない勉強をひたすらとする場所。

そして、やりたくない部活動を周りの目を気にしてやり続ける日々。

逃れられない勉強と部活に挟まれて、唯一の安らぎを見つけ続ける生活が、ボクにとっての高専生活でした。

高専には中学の頃よりも圧倒的に頭の良い人達が多くて、話をしていてもとても面白かったです。

よくイメージされるようなオタク的な人もたくさんいて、ボク自身オタクであるが故、意気もあっていたのかもしれません。

最初の頃は勉強も部活も頑張っていたボクですが、そんなに長続きはしませんでした。

繰り上げ入学したことから分かる通り、ボクはそれほど頭がいいわけではないのです。

入学時は頑張って勉強していたボクは順位で言うと40人中20位というちょうど中間に位置していました。

(5つの学科ごとに分かれているため、学年合計は200人)

しかし、友だちが増えていくごとに勉強時間は減り、その結果僕の順位は卒業する5年後には30位代まで、徐々に落ち込んでいくのです。

その原因はわかっています。

全ては・・・

面白くない、興味がない

ということなんです。

面白いであろうと思ったのは僕の幻想で、想像でしかなくて、実際はボクの好きな分野ではなかったということだったのです。

そのため、基本的に学校の勉強はせずに、ボクはビジネス的ないわゆる自己啓発本を読むようになっていったのです。

高専の4年生くらいのことだったと思います。

ボクはこのときに、D・カーネギーを読み、そしてホリエモンという人物を本で知るのでした。

彼のように生きている人間がいるということを初めて心から知ったボクは、完全にそっちの人間になりたいと願うようになりました。

とりあえず、高専は卒業して、念のために就職もするけれど、それと同時に企業を視野に入れて動いていこう、そう思い始めていたのです。

そして、最低限の努力で、ギリギリ留年しないラインを維持しながら、ボクは高専を卒業して、富士電機システムズ株式会社という会社に就職をしました。

参考:富士電機システムズ

初めての就職で、社会人となったボクでしたが、はじめから長期的にこの会社にい続けるということは考えていませんでした。

もし幸運に、ボクにとっての天職と感じることができれば、定年までいてもいいと思いましたが、当然そうは思えませんでした。

結論から言うと、1年でやめました。

1年の内、半年は研修というさすが大手企業とも言える手厚い研修が施され、本当に必要があったかどうかわからないような研修を終えて、配属された場所は、常に海外の工場設営(プラント)に携わる部署でした。

電力試験第2部と言った感じの名前だった気がします。

正直、めちゃくちゃいやでした。

全く面白くなく、尊敬できる上司もおらず、会社にいることでの目標は全くありませんでした。

海外に出張するため、給料自体はとても良く、30代で年収1000万は行く部署でした。

正直、上司は常にボクに手当がすごい出るため、収入がめちゃくちゃいいけど、年に1,2週間しか日本に戻ってこないため、使えないと自慢していました。

ボクはがっかりとしました。

いつもお金の話か、芸能などの世間話しかしない人しかここにはいなかったのです。

所詮お金のためにしか働いている人はいなかったんです。

ボクはやめる間に日本の幾つかの場所に出張して、先輩・上司と付きっきりで行動していましたが、やはり人間として尊敬できるという人はいませんでした。

その事実を知って、ボクは会社にいることがとてもつらかったです。

働く意味も、なんのために生きているかも考えずに、お金を稼いで、海外の安い風俗店の話しかしない上司とともに仕事をする、という意味のない生活を送ることがとてもつらかったのです。

そしてボクは会社をあとにしました。

ボク氏、営業をやる

いろいろなビジネス本を読んでいたボクですが、読む書籍に偏りがあったせいか、会社を経営するためには営業力が必要不可欠であるということを思っていました。

ボク自身、極度の人見知りで、知らない人と会話をするとどもってしまうし、言いたいことも言えない正確でした。

客観的に見てもこの性格をまず直さないと思い、ボクは自分が好きな家電の販売を通じて人見知りを治すために、家電量販店の販売スタッフになろうと決意したのです。

そこで、適当に見つけた営業の求人に応募したところ、たまたま正社員として就職が決まりました。

しかし、この会社は後にボクの人生をガラッと変えるくらい衝撃を受けた会社であるとは、まだ知る由もありませんでした。

 最終更新日:2016年10月21日

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